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薄れゆく記憶 [老人ホーム]

私のおばあちゃんは現在92才。老人ホームに入所して半年が経過しました。

昨年夏に大腿骨頚部骨折し、手術、入院したのが直接の原因ですが、今から4年前の88才の時、新年早々に風呂場で転んで胸椎圧迫骨折で寝たきり生活が1ヶ月続いたのがすべてのはじまりでした。
長男で後取りの叔父さん夫婦とおじいちゃんとは元々折り合いが悪かったおかげで、叔父さん夫婦は数年間おじいちゃんとおばあちゃんと音信不通状態。たとえおばあちゃんが圧迫骨折して痛みで苦しもうとも音信不通。それ故におじいちゃんとおばあちゃんの介護、雑用のすべては私頼みになりました。
生まれてこの方、病気で寝込んだことがないおばあちゃんが骨折して寝込んだ瞬間からパニックになったおじいちゃん(当時93才)には(できる訳などないのに)「おばあちゃんを起こして抱えてトイレに連れて行くくらいオレでもできるわい!」と怒鳴られ、叩かれ、蹴られながらも私が骨折直後のおばあちゃんをトイレに連れて行ったり、介護ヘルパーの手続き、介護ベッドの手配などなどの介護や看護の一切を私がやってきました。
1年半後、おばあちゃんが二度目の圧迫骨折した時も同じく私頼み。
二度目の圧迫骨折での1ヶ月の寝たきり生活を境におばあちゃんの認知症が顕著になりはじめ、泥棒騒動、通帳や印鑑の紛失騒ぎは日常茶飯時になり、その都度仕事中であろうがなかろうが私が呼び出され振り回されてきました。
最初の圧迫骨折から2年後、新年早々からおばあちゃんから「両手に湿疹ができて痛くてコップも持てないし、口内炎もできて物を食べられへん」と電話が入り、すぐさま駆けつけて姫路市の夜間急病センターに連れて行きました。
診察の結果、手の湿疹と口内炎の原因は薬の飲み過ぎ。つまり、「認知症が若干進んだせいで、薬を飲んだかどうだかわからなくなって薬を飲み過ぎた副作用で出たようですね」とのこと。
認知症ではないけれど、身の回りのことも自分でできるけれど、自炊はできないおじいちゃんのためにうどんを買ってきておじいちゃん以上に自炊ができない私が作って食べさせました。
私がアキレス腱断裂し、ギプス生活していた時でさえ、痛風で足が痛むおじいちゃんを音信不通の叔父さん夫婦に代わって病院に連れて行きました。病院内では私が患者に間違われながら。
おじいちゃん、おばあちゃんが体調を崩す度に神戸-姫路間を一日2往復する日も何度もありました。
数年間、私は「だ、か、らっ!」と何度怒ったことでしょうか?その数は数えきれません。
おじいちゃんが亡くなってからはおばあちゃんの認知症の症状は一層ひどくなるばかりで尚更私頼みが続きました。

現在、残された時間が短くなりつつあるおばあちゃんにとって、今やそんなことも記憶に残っていないことでしょう。
今やおばあちゃんに私が何かをしてあげられる訳でもなく、できることといえばお見舞いに行く度に老人ホームのスタッフの目を盗んでナイショでチョコを食べさせてあげるくらい。
薄れゆく記憶の中でも、おばあちゃんは「あの子が一番よくしてくれる」と言っているそうです。それだけが何よりの救いでしょうか。


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