漢字 [老人ホーム]
私の今年を表す漢字は光でしょうか。
4月、祖母が102才で亡くなりました。
名前は光子。
今もまだ寝ている間に見る夢にも時折現れたり、祖母の事を知っている人に会うと祖母の話になったり、その都度、悲しみの底にいて抜け出せないままです。
52年間、祖母に甘やかされた私に一筋の光が差すにはまだまた時間がかかりそうです。
4月、祖母が102才で亡くなりました。
名前は光子。
今もまだ寝ている間に見る夢にも時折現れたり、祖母の事を知っている人に会うと祖母の話になったり、その都度、悲しみの底にいて抜け出せないままです。
52年間、祖母に甘やかされた私に一筋の光が差すにはまだまた時間がかかりそうです。
男山千姫天満宮 [老人ホーム]
4月に102才で他界した祖母は大腿骨骨折し、病院に入院し手術、老人ホームに入所する91才まで押絵の先生をしていました。
今から30年ほど前、祖母が70才過ぎの時。
姫路市から「姫路出身のファッションデザイナー高田賢三さんが主催の姫路出身の若手のデザイナーのコンテストを行うのに徳川家康の孫、千姫が家康の家臣本多忠刻に嫁入りした時に姫路に持って来た6枚の羽子板のレプリカの押絵を副賞として贈呈したいので作ってほしい」と依頼を受け、羽子板の押絵を3つ作りました。
製作前に祖母が現物の羽子板(現在は別の所に保管)を見るために当時展示されていた姫路城天守閣まで上がったことを「あの時はお城まで上がってしんどかった」と何度も言っていたこと、製作時にたくさんのお弟子さんが関わって手伝ってもらい、苦労していたことを思い出します。
祖母が作った姫路市に納められた羽子板の押絵の一つが姫路城そば、男山の中腹にある千姫天満宮に納められていると知り、今日はそれを見に行きました。
千姫天満宮は羽子板の絵馬が有名だそうです。
今から30年ほど前、祖母が70才過ぎの時。
姫路市から「姫路出身のファッションデザイナー高田賢三さんが主催の姫路出身の若手のデザイナーのコンテストを行うのに徳川家康の孫、千姫が家康の家臣本多忠刻に嫁入りした時に姫路に持って来た6枚の羽子板のレプリカの押絵を副賞として贈呈したいので作ってほしい」と依頼を受け、羽子板の押絵を3つ作りました。
製作前に祖母が現物の羽子板(現在は別の所に保管)を見るために当時展示されていた姫路城天守閣まで上がったことを「あの時はお城まで上がってしんどかった」と何度も言っていたこと、製作時にたくさんのお弟子さんが関わって手伝ってもらい、苦労していたことを思い出します。
祖母が作った姫路市に納められた羽子板の押絵の一つが姫路城そば、男山の中腹にある千姫天満宮に納められていると知り、今日はそれを見に行きました。
千姫天満宮は羽子板の絵馬が有名だそうです。
私は羽子板の絵馬よりも、現物の千姫の羽子板よりも、祖母が作った羽子板の押絵にしか興味がありません。
階段を1分ほど登ると千姫天満宮にたどり着きました。
小さな建物ですから宮司も管理する人もおらずで閉まっていて、ガラス戸の格子越しからしか祖母の作った羽子板の押絵は見えませんが、私はそれだけで満足。
すぐさま帰路につき、回り道をして男山山上まで足を延ばし、道路まで一直線の長い階段を下りると、神社の役員の方がたまたまおられたので羽子板の押絵の話をしたら「開けますから見て行って下さい」と再び千姫天満宮まで上がって直接見せてもらいました。
30年前の祖母の姿が蘇ってくる素敵なひとときでした。
階段を1分ほど登ると千姫天満宮にたどり着きました。
小さな建物ですから宮司も管理する人もおらずで閉まっていて、ガラス戸の格子越しからしか祖母の作った羽子板の押絵は見えませんが、私はそれだけで満足。
すぐさま帰路につき、回り道をして男山山上まで足を延ばし、道路まで一直線の長い階段を下りると、神社の役員の方がたまたまおられたので羽子板の押絵の話をしたら「開けますから見て行って下さい」と再び千姫天満宮まで上がって直接見せてもらいました。
30年前の祖母の姿が蘇ってくる素敵なひとときでした。
大往生 [老人ホーム]
4月3日の夕方、祖母が亡くなりました。
102才。
102才。
91才の時に大腿骨頚部骨折し、手術、入院以降は施設に入所から1年ほどは「家に帰りたい」「連れて帰って」の連呼でした。
代わりに私が週に2、3回お見舞いに来てくれることがおばあちゃんにとっては何よりの心の支えだったのでしょう。
自分で言うのも何ですが、これだけお見舞いに行って内緒でおやつを食べさせ、肺炎や骨折で再度、再々度病院に入院した時は病院まで食事介助にも行ったおかげで祖母は心穏やかに102才で天寿を全うできたのだと思います。
代わりに私が週に2、3回お見舞いに来てくれることがおばあちゃんにとっては何よりの心の支えだったのでしょう。
自分で言うのも何ですが、これだけお見舞いに行って内緒でおやつを食べさせ、肺炎や骨折で再度、再々度病院に入院した時は病院まで食事介助にも行ったおかげで祖母は心穏やかに102才で天寿を全うできたのだと思います。
たくさんたくさん言いたいことはありますが、おばあちゃん、ありがとう。
102才 [老人ホーム]
老人ホームに入所しているおばあちゃん(102才)のお見舞いに行きました。
コロナ禍、しかも感染の第6波の真っ只中ですが、タブレット越しでの10分間だけの面会可能なのが何よりです。
でも、おばあちゃんは私のことが誰なのかわからず、表情乏しく、何も喋らず固まったままの10分が続くだけ。
長い長い10分です。
コロナ禍、しかも感染の第6波の真っ只中ですが、タブレット越しでの10分間だけの面会可能なのが何よりです。
でも、おばあちゃんは私のことが誰なのかわからず、表情乏しく、何も喋らず固まったままの10分が続くだけ。
長い長い10分です。
低空飛行 [老人ホーム]
コロナ禍、タブレット越しでの面会が再開されて1、2週間ごとに老人ホームに入所しているおばあちゃん(101才)のお見舞いに行くこと8ヶ月あまり。
おばあちゃんは私が誰なのかもわからなくなり、私の声に戸惑い、無表情。
このところは座っているだけでも足腰が痛いのでしょうか、首と背中をがちがちに固定されて座るのがやっとのように見えます。
年が明けて来月末の誕生日を迎えられたら102才。
超々低空飛行が続きます。
おばあちゃんは私が誰なのかもわからなくなり、私の声に戸惑い、無表情。
このところは座っているだけでも足腰が痛いのでしょうか、首と背中をがちがちに固定されて座るのがやっとのように見えます。
年が明けて来月末の誕生日を迎えられたら102才。
超々低空飛行が続きます。
タグ:認知症
孤独感 [老人ホーム]
老人ホームに入所しているおばあちゃん(101才)のお見舞いに行きました。
面会は相変わらずタブレット越し。
これまではタブレット越しだと喋ってくれなかったおばあちゃんでしたが、タブレットに向かって喋るのに慣れたのかこちらから喋りかけると聞き取りにくてとも一言二言喋ってくれました。
面会は相変わらずタブレット越し。
これまではタブレット越しだと喋ってくれなかったおばあちゃんでしたが、タブレットに向かって喋るのに慣れたのかこちらから喋りかけると聞き取りにくてとも一言二言喋ってくれました。
しかし、私のことがわからないのはもちろん、これまではわかっていたおばあちゃんのお父さんとお母さんの写真を見せても「誰かわかりません」と言うだけで、どれほど孤独な気持ちであろうかと思うと切ない気持ちになり、心のやり場がありませんでした。
10分 [老人ホーム]
老人ホームに入所しているおばあちゃん(101才)のお見舞いに行きました。
もちろん、ロビーフロアでタブレット越しで10分間だけの面会。
私が声をかけても表情が少し緩むくらいで喋ってくれず。
まあ、顔色は良さそうなのでよしとしましょう。
10分間は短い。
たかが10分。されど10分。
タブレット [老人ホーム]
先日、老人ホームに入所しているおばあちゃん(101才)のお見舞いに行きました。
といっても、ロビーフロアでタブレット越しでの面会。
しかし、私がおばあちゃんに話しかけても何も喋ってくれません。
後ろで職員さんがおばあちゃんに喋るよう促しても無口。 私のことが誰だかわからなくなっているのか、画面に映ること私がテレビに出てくる俳優に見えたのか?
お兄ちゃん [老人ホーム]
老人ホームに入所しているおばあちゃん(101才)のお見舞いに9か月ぶりに行きました。
お見舞いといっても感染対策のためにロビーでのタブレットでの10分間だけのオンライン面会。
わかったのはおばあちゃんの若かりし頃とお婆ちゃんと両親の写真を見せた時だけ。
おばあちゃんに私のことを聞いてもどこの誰なのかわからなくなっていて「お兄ちゃん」とだけ答えてくれました。
私は50才のオッサンですが、若く見えたのでしょうか?
お見舞いといっても感染対策のためにロビーでのタブレットでの10分間だけのオンライン面会。
わかったのはおばあちゃんの若かりし頃とお婆ちゃんと両親の写真を見せた時だけ。
おばあちゃんに私のことを聞いてもどこの誰なのかわからなくなっていて「お兄ちゃん」とだけ答えてくれました。
私は50才のオッサンですが、若く見えたのでしょうか?